今に意味を持たせるのは、未来。

2回目にして千秋楽を観劇。良かった。亜珠沙のパワーが最高潮だったし、それを眩しくまっすぐ正面から受け止めるひまりも強かった。周りにいる78期もままならなさを抱えながら悩み、意味があることにしたがっている。

思ったこと、つらつらと書こうかな。台本は買ったけど(本がね、良くて…)基本記憶。

概要

『隣の花は赤い』 意味は「他人のものは良く見える」、つまり隣の芝は青いとほぼ同義。

このことわざがある、と一緒に観劇した人に教えてもらった時、

ということの文脈の深さに衝撃を受けた。

隣人を羨む。それは自身が持ち得ないものをたくさん持っている相手への妬みでもあり、妬みから生まれる自身の攻撃性及びそれゆえの悔悟、罪悪感の生まれになる。

作中、赤いドレスを着た女性たちが亜珠沙を責め立てる時、それは『亜珠沙の想像の言葉』でありイコール亜珠沙が自身に向けている言葉である。が、恐らくゼロからの妄想ではなくきっかけがあるはずだ。「社会不適合者」と元婚約者に言われたことを自身の形だと受けてしまったように、78期の理解ある仲間でないところから異なる形の『やっかみ』を受けたかもしれない。(そこは観劇者の想像でしかない。)

『高校の先生の紹介で外部の舞台に立った』と語る亜珠沙に『人脈かぁ〜』と唸るひまりが、卒業公演でプロデューサーの目に留まりそのまま大きい舞台へ出る流れ、そのまま”人脈”だよなぁ、きっと。亜珠沙から学び、彼女を超えていってしまう。全て。

彼女は偽者だった。

78期の夢、全員叶わない。事務所に入らず卒業して家庭を持ったみなえ、彼氏に振られて婚期を逃した朱里亜、曲どころか音楽から離れて仕事をしているきほ、舞台の一つも出来上がらない蘭、No.1どころか現場から飛んで”元役者”となったおばな。

ひまばあの占いは当たらない。では卒業公演は”大成功”したのだろうか。