※ほぼ連続で観劇だったので体力が足りず、セットでの感想
初回観劇の感想 →2/6-9 悲しみに戯けたピエロ 考察
2回目に入場して、開演前に舞台セットが整っていない件を思い出した。
傾いた波浮港見晴台の標、倒れたバーの椅子、積み重ねられた箱。書きかけの詞と文机。空の酒瓶と転がされたグラス。それらが、開演と共に綺麗な姿へ戻る。
このことについて提起したところ、同行者のフォロワーさんが「時間が遡っている?」と言ってくれた。天才かもしれない。
観劇者の我々は、舞台が始まる前のことから観ている。舞台セットが正しく配置される前、物語が語られる前。宮川哲夫の物語が、まだまとめられていない時間。整っていないものを、整えていく演者。物語を語るまでに必要な時間と手間を感じる。
背景も、七宝が歪な形に象られている。七宝の模様は、富裕を表す。それの破壊、宮川哲夫にとっての。倒産。母親。戦争。
感想、解釈
ハートのラブレター、クセが強い。日に日に変化球になっていってる。どのくらい打ち合わせしてるのか分からないけど、宮川さん(岩佐さん)のレスポンスが打てば響くでめちゃ笑う。
最後の大団円演出、『現実で実際に起きたことではないけど、交わされた想いの具現化』という意味で捉えるのがいいのかな、と思う。そうした時、石坂静雄が頭から居て師範学校組で肩を組んで歌い、ハケて石坂しずをがまたやってくることにも、意味があると思う。
東京ドドンパ娘という曲が生まれるより前に亡くなった石坂静雄が師範学校組と4人で歌うシーンこそ、『石坂さんが生きていたらなんて言うだろうか』への答えだと思うんだよな。流行歌の作詞家として魂を売ったと非難するだろうか、と己を自嘲し石坂さんからの言葉を抱きしめていたあの日の宮川さんへ、この演出は『石坂静雄は宮川さんの書いた東京ドドンパ娘を笑って歌ってくれる』という答え。あるいは希望であり願いであり祈り。石坂静雄が本当はどう答えるか、真実は誰にも分からない。けれどそれは、孤独と向き合い誇りを持ち幸せの中で死を迎えた宮川さんが、自分で出した結論の一片でもある。
「俺は作詞家か?」と宮川さんが伴蔵へ問いかけるシーン。伴蔵は「お前は、作詞家だよ」と怪訝そうに、壊れ物を扱うかのように答える。井手にも同じ問いをし、望む答えが得られず憤怒する宮川さん。「俺は、なんなんだ……!」という、作詞家と詩人の間での苦悩。もしここで伴蔵が、あの日のように「哲夫は哲夫だ」と言えたのなら、このシーンは全く違うものになったのかもしれないな。でも伴蔵は、セリヌンティウスを知らなかったから、仕方ないのだろうか。
???とは一体何なのか、3回観ての解釈。宮川哲夫の孤独。あるいはそれを俯瞰する魂。
時系列的に母親の死で出現する???、その時に呼応して同時に叫ぶ宮川さん。あれが幼き頃の宮川さんとしてだけの表現なのか、あるいはその時生まれた孤独なのかははっきりしない。
戦争が始まり、真っ赤に染まる背景の端で頬杖をついてそれを見る???。空を見上げる宮川さんを見つめる???、哀れみか、嘆きへの同情か。
母親の死により形を持った孤独が、石坂静雄の死により宮川さんの中で”向き合うべきもの"として立ち上がる。ずっとそばにいた、ずっと宮川さんを見ていた、けれど宮川さんは見ないふりをしていた。
(そういえば???、日により縦横無尽に駆け回ってる。今日のソワレは周囲をぐるりと巡ったかと思えば、物凄い勢いで宮川さんのすぐ目の前に来て責め立てる)