ジャスティスタクティスのこと何も知らん状態で行った。お笑い系?という認識だけ。
いやぁ、良い喜劇だ。アホなシーンはあるけど内容的には全然アホじゃない。笑いが多いけど、根底にかなり理知的なものがあるからくだらなさを感じない。
『変わる』とは何か。
感情をうまく出せない五十幡に、桜井が「自分が笑えるようになるために芸人をやったらいい」と言うところ、良い。
五十幡は楽しくないとか面白くないとか思ってることはなくてただ表に出せないだけ、って言ってるから、これは桜井なりに『人がどうやって笑いを表に出すのかを見れる』『笑ってる人を見たら自分も笑える』『人を笑わせられたことに喜んで笑える』ような、何かしら哲学があるんだと思う。劇中では単に楽しくやりたいことをやって生きようとする人のように見えるけど。
でも、五十幡が上木兄に言われてるところをピンチ図師と一緒に見てたシーン、「(五十幡のところに)出ていく?」「出ていけるわけないだろ」って背を向けて何も聞かなかったことにして、森田に言われたこともちゃんと背負って、その上で五十幡がピンで続けるって言ってくれたことに大喜びするの、桜井って五十幡に自由に生きてほしかったんだろうな、だから自由に笑えるようにって芸人勧めたんだろうな、って思って、勝手に泣いた。
桜井、良い奴なんですよ。かなり変だけど。変だけど、変であることに自覚がある。変であっても自信がある。自分のやりたいことをやりたいようにやって、それが誰かのためになったり誰かを救えたらいいなと思ってたりする。この自己肯定感の一部に、五十幡が芸人を始めたこと/続けていることがあったらいいな、と思ったのであった。
五十幡の物語には直接は関係しない。じゃあなんで出てくるの?って言われたら、これが群像劇だからであり、『変化』というのは唯一のものではないから。
みかんジュースのマネの佐々木ちゃんが五十幡のファンの唯ちゃんの友達で、
みかんジュースの野々村の相談相手の榊原の相方が五十幡の先輩の楠本で、
唯ちゃんは五十幡と楠本に変化をもたらし、佐々木ちゃんはみかんジュースと榊原に変化をもたらす。
五十幡――マミコ――みかんジュース、みたいな距離感。
でもこれが、全ての登場人物が主人公と関係し直接影響を与えるわけじゃないということが、かなり作り手の人生観が出てるなあと思った。